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Monthly Archives: March 2019
本物の羊飼い。本物の羊。(2019年3月3日)
今日はまず、普段はあまり開かない聖書箇所を開きます。ここはちょっと耳に痛いので、私たちがつい飛ばしたり、あまり考えないようにしている箇所です。僕は約40年間クリスチャンですが、この箇所を用いたメッセージを聞いたことはありません。この箇所は使徒パウロという人が、ある教会に送った手紙の一部です。 あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。あなたがたが不適格な者なら別ですが。(第二コリント13:5) なんだか耳が痛いというか、ドキッとする言葉ですよね。まるでパウロに私たちが、「あなたが本当にクリスチャンかどうか自問自答しなさい」って詰め寄られているような気になります。多くの人は、たとえクリスチャンリーダーや牧師さんたちであっても、「いやいや、そんな自問自答する必要ないよ、あなたはクリスチャンだよ大丈夫だよ」と言うでしょう。 パウロはおそらく彼らの信仰が本物かどうかという事を問いたかったのではなく、パウロは、コリントの人たち、ひいては私たちに、「自分を省みて、「私の普段の生活や考え方はクリスチャンとして矛盾していることはないだろうか?私の神様への向き合い方についてはどうだろうか?」と、省みることは大切だよ」と言っいるのだと思います。 なぜか。それはあなたにとっての最大の詐欺師はあなた自身だからです。あなたが本当は神様に属していないのに、あなたがあなたと神様の関係に問題は無いと思っているとしたら、それは本当に深刻な問題なんです。だからパウロは「自分自身を試し、吟味しなさい」と言いました。 今日はまさにその事を一緒に考えましょう。今日は羊飼いシリーズの三回目です。このシリーズでは、「神様を私たちの羊飼いとして捉える」という話をしています。 今日は2つの観点からこの事について話をしたいと思います。 一つは「神様は私の羊飼い。」それはどういう意味だろうか。 もう一つは「私は神様の羊。」それはどういう意味だろうか、です。 ヨハネ10章を開きましょう。 ヨハネ10章の背景を理解するためには、9章で何があったか知る必要があります。 前も言ったことがあるけど、聖書には何章とか何節とかって番号がありますね。それには実はメリットもあるけどデメリットもあるんです。もちろんどこに何が書いてあるか探しやすいというメリットはある。デメリットは、ストーリーの流れが途切れてしまうこともあるんです。この個所はまさにそう。 たとえば、1日1章を読み進めている人が、9章読んで、閉じて、次の日に10章を開いて読んだら、この9章と10章は全く別の2つのお話だと思ってしまう、ということがありえます。しかし実際にはこの9章と10章は一連の会話としてつながっています。 では背景から入って行きましょう。ヒデさんが去年の8月に、9章についてメッセージをしてくれたので、ありがたいことに私たちには多少その情報があるはずです。けれども8月のことだし、記憶をたどらないと出てこないな、という人もいると思いますので、ちょっとだけおさらいしましょう。 イエス様と弟子たちは、生まれたときから目が見えず、物乞いをしていた人をご覧になりました。イエス様は彼を哀れんで、癒しました。でもその日は安息日だったので、宗教リーダーたち、特にパリサイ人たちは怒りました。「イエスは安息日を守らないんだから、神のもとから来た者ではない。この男を癒すことによって、安息日を破ったのだ!」と批判しました。 そもそも、はじめのうちはパリサイ人たちはこの男が盲目であったことをまず信じようとしませんでした。彼らはこの男が神殿の近くや町の門の前で物乞いをしている姿を、何百回と見かけていたはずです。パリサイ人たちは何度となく、彼にお金を恵んでいたかもしれない。でもこの男の顔をよく見たり、話しかけたりすることはきっとなかった。だから、この盲目の男の両親に詰問したんですね。「この人はあなたの息子か?本当に盲目で生まれたのか?どうやって見えるようになったのか?」 両親は恐れました。「イエスを救い主であると告白する者がいれば、その者は会堂から追放する」と、宗教リーダーたちが言っていたのをを聞いていたからです。ユダヤ人にとっては、この会堂というのは単に地域の礼拝堂というだけではなくて、そのコミュニティの中心でもあったからです。会堂から追放されるということは、その地域のコミュニティからも追放されることに等しかった。だから、この元盲目の男の両親は、「確かに私たちの息子で、盲目でした。でも今見えているというなら、本人に聞いてください。大人ですから、自分のことは自分で話せるはずです。」と言いました。 するとパリサイ人たちはもう一度元盲目の男を呼び出して聞きました。「おまえにもう1回チャンスをやるから、ストーリーを変えろ。おまえを癒したとかいうイエスは、罪人だろう、そうだろう?」 男は答えました。「あの方(イエス様)が罪人かどうかはわからない。私がわかるのは、私は盲目であったのに、今は見えるということだけです。」パリサイ人はさらに詰問しました。男の考えを覆そうとしたのでしょう。でも男の意見は変わりませんでした。それどころかイエス様を弁護するようなことを言いました。結果的に彼は礼拝堂から追放されました。 イエス様はそれを聞いて、この男のところにやってきて、「あなたは人の子を信じますか?」と尋ねました。 ユダヤ人の預言者ダニエルという人がいて、その人は、かつてこう言いました。「人の子が世界を永遠に治めることとなり、すべての人が彼に仕えるようになる(ダニエル書 7:13-14)と。盲目の男はおそらくこれを覚えていたので、イエス様に「その人は、人の子とは誰ですか、私はその方を信じます」と答えました。 イエス様は答えました。「あなたは今その人を見ています。あなたと話しているのがその人です。」 その瞬間に、元盲目の男はひざまずいてイエスを礼拝しました。 そこでイエス様はこう言いました。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」(9:39) パリサイ人たちはカチンときたことでしょう。 「どういう意味ですか?まさか私たちが盲目だというのですか?」 イエス様は答えました。「あなたがたが自分の罪に盲目であることを認めるなら、私があなたがたを癒し、許します。私が盲目の男に対してそうしたように。でもあなたが「私は見えている」と言い続けるなら、あなたの罪は残ります。」 その直後に、イエス様が10章でこういったのです。盲目の男と、彼が癒される奇跡を目撃した群衆の前で、イエス様がパリサイ人にこう言いました。 「まことに、まことに、あなたがた(パリサイ人)に言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」 イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼ら(パリサイ人)は、イエスが話されたことが何のことなのか、分からなかった。(1-6) イエス様はなんと言っているのでしょうか? それはこうです。 「パリサイ人たちよ、あなたは 自分たちのことをイスラエルの民の霊的な羊飼いと考えている、自分たちは神の掟についての知識をたくさん持ち、そしてそれを守ろうとしているからと。でも本物の羊飼いとはどんなものか理解していない。 本物の羊飼いは、羊に対して権利がある。持ち主だからね。だから彼が羊たちの様子をみたいときには、門番は門を開けて、彼を中に入れる。 本物の羊飼いは、羊たちを名前のないただの動物として見てはいない。一人ずつをちゃんと知ってる。名前を呼ぶことができる。彼は羊たちを囲いから連れ出して、先頭を立って歩きます。羊たちは羊飼いの声を知っていて、また彼のことを大好きなので、彼についていきます。ただ、知らない人の声にはついていきません。羊たちの囲いに入り込んで羊たちを盗もうとする人にはついてきません。むしろ、逃げていきます。」 こう言われたのはパリサイ人にとっては面と向かって批難されたようなものです。パリサイ人たちは自分たちのことを霊的な羊飼い、牧者だと考えていました。でもイエス様は彼らのことを盗人であり強盗だ、と言い切ったのです。 パリサイ人にこう言いました。「あなたたちはこの民に対して羊飼いを名乗る権利はありません。あなたたちはこの盲目の男の名前すら知らないからです。何回も目の前を通り過ぎたのに、顔はもちろん名前すら知らない。なぜ人々があなたがたではなく、私についてこようとするのか理解できますか?それは私が本物の羊飼いで、彼らは私の声を聞き分けるからです。あなたたちは盗人や強盗です。彼らはあなたの声は知りません。」 しかし、「知識があって」 … Continue reading
True shepherd. True sheep. (March 3, 2019)
I’d like to start today with a verse from the Bible that we don’t look at very often. It’s kind of an uncomfortable verse, and so often times we either skip over it or we try not to think about … Continue reading